勉強嫌いな生徒がつまらないという授業は本当につまらないものです。この点、生徒の授業観というのは講師が考えている以上に鋭く正しく、授業の批評家としてはプロ中のプロといっていい。小さい頃から様々な授業を見慣れている現役だから目が肥えているのは当然であり、勉強が嫌いな文、面白い授業を常に待ち望んでいるから、授業の良し悪しに敏感になるのも頷けます。
何かを教わろうと塾に来る生徒は少ないかもしれないが、何かを期待して来る生徒は多いものです。部活動や諸々の人間関係に疲れた心身に鞭打ち、お金まで払ってわざわざ塾に来るわけですから、それなりの代償を生徒はどこかで求めている。そうした生徒に対して、考え込ませるような授業は拷問以外の何物でもありません。教師が授業から受ける苦しみの何倍もの苦痛に生徒は耐えている、という当たり前の事実を知らぬ教師は案外多いものです。見せて、教えて、パッと解答へのコツを納得させる。その隙間に考え込ませる疲労を与えない。それが最善の授業というものであって、ここまで出来なければ、疲れた心身は癒されるものではないし、勉強への意欲も湧いて来ないでしょう。講師が求める以上の面白い授業を生徒は求めているものです。
生徒からの信頼を得ようと会話を心掛ける事は大切です。下手な授業の埋め合わせにはなるかもしれませんから。そうやって生徒アンケートでポイントを稼ぐ塾講師は意外と多いものです。けれども塾講師のいちばんの仕事はそこではなく、授業作りの向上でなければなりません。授業作りとは教科を教えるだけでなく、勉強しやすいクラスを作ることでもあります。授業作りが下手な講師がいくら会話に努めても、生徒に軽蔑されるだけでしょう。授業作りに努力する講師は昨日の失敗を悔しがりますが、その埋め合わせに生徒のご機嫌を取ろうなどとは思いません。それぐらいの覚悟を持てなければ、生徒アンケートが満点であろうともつまらない教師であります。
授業を作るとは生徒を予想する事です。この生徒というのは目の前にいる生徒のことではありません。現役を引退した大人が現役世代の子供の気持ちに追い付けるわけがない。確実に追い付けるのは生徒だったころの昔の自分だけであります。生徒の気持ちが分かるのは大人の自分ではなく、生徒だったころの自分しかいません。良い先生というのは、中学生の自分が期待した面白い授業、大人の自分から見ても面白いと思う授業をやってみせる先生であります。客観的ではダメだという事です。
生徒の皆さんは自分の眼で塾の先生を見てください。自分に合った先生かどうか、それを判断するのが成績向上の第一歩だと思います。